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野球浪漫2014
李杜軒[ソフトバンク・内野手]



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海を渡ったのは15歳の春、あれから10年の時が過ぎた。日本で野球の奥深さを知り、それを生業とする今、ようやく野球と真剣に向き合うことを知った。
かつては“井口2世”と評価された未完の大器。大きな大志を胸に抱き、バットを振る日々を送る。

文=菊池仁志 写真=桜井ひとし、湯浅芳昭、BBM




 春の陽光を浴びながら汗を滴らせバットを振る。日に焼けた顔は精悍さを増し、鍛え上げられた分厚い胸板と太い二の腕に力がこもる。「自分の特長」だと言う打撃の向上が一軍昇格への最短の道。二軍にくすぶる己のふがいなさを振り払うように、それでいて自分の力ではどうにもならない一軍の充実の戦力を神経質に眺める心を追いやるように、一本、また一本とスイングを重ねる。いま、できることはただ、それだけ。それでもイメージはできている。めぐって来たチャンスで、バット一閃。自分の力で立場をつかみ取る決意だ。

逃した大魚

 プロ7年目の2013年シーズンを「悔しいシーズンでした」と振り返る。前年に一軍初出場を果たし、初本塁打もマーク。打撃各部門の数字を軒並み増やし、その数字だけを見れば順調にステップアップを遂げたシーズンを、だ。それは逃した魚のあまりの大きさを痛感しているから。チャンスが平等に与えられるのは、ほんの一瞬。それを逃すのと、つかみ取るのとでは、これもまた一瞬にして大きな差となる。甘えが許されないプロの厳しさを、スポットを浴びる後輩の背中に見ていた。

 開幕は二軍で迎えた昨季、一軍から声が掛かったのは連休が明けた5月9日だった。チームはその時点で首位・西武と9.5ゲーム差の4位に低迷。開幕を四番で迎えたペーニャ(現オリックス)が30試合を終えて打率.211、本塁打ゼロと極度の不振に陥っていたことも、その原因としてあった。李杜軒は「チームで数少ない長距離が打てる右打者」(大道典良二軍打撃コーチ)で、一軍昇格はそのペーニャの代役と期待されてのことだった。

 その日のオリックス戦(ほっと神戸)で「七番・DH」で先発出場すると、左腕・海田から中前打。すると対左投手で出場機会を増やし、5月18日の阪神戦(甲子園)では小嶋からプロ第2号本塁打を含む2安打など結果を残していった。一方で12年も6打数ノーヒットに終わっていた右投手相手に結果を残せない。交流戦期間中に4度、右投手相手に打席に立ち無安打。「左より右の方が打ちやすい」という本人の感覚とは裏腹な結果に、出場機会は左投手のときに限定されていった。

 そんな李杜軒を尻目に、定位置を見事に自分のものにしてみせたのが、1歳下の後輩・中村晃だった。開幕を一軍で迎えた中村は、開幕3戦目に右手小指をはく離骨折し、離脱。再昇格は李杜軒より遅い5月14日だった。交流戦が始まって間もない5月19日の中日戦(ヤフオクドーム)で「一番・一塁」に抜てきされると、6打数2安打の活躍。何より、投手の左右に関係なく、打てる球が来るまで徹底してファウルで粘る姿勢やシチュエーションに応じたチーム打撃ができる点が評価を高めた。

「あそこで自分も右を打てていたら、レギュラーを獲れたかもしれないと思うんです。それができなかったのが悔しいです」。そう悔やむのはその1年前の12年6月22日、ヤフオクドームでの日本ハム戦だ。それまでファームで打率.304と状態は上向き。同日のデーゲームで行われたウエスタン・リーグ広島戦(雁の巣)でも安打を放って一軍に呼ばれ、「八番・一塁」で先発出場した。先発マウンドには右腕の斎藤佑樹。遊飛、遊ゴロ、そして代わった同じく右腕の森内壽春には空振り三振を喫した。「右は打てない」

 あまりに極端なレッテルを貼られた。その後、13年シーズン終了までに25試合に先発出場したが、そのいずれも相手先発が左投手のときだ。

あこがれの存在を追って


▲2010年10月のアジア大会で台湾代表となり、兵役も免除された。写真は2013年11月の台湾代表対侍ジャパンの親善試合のもの


 台湾から日本へ来て10年が過ぎた。あのころ、まさか日本に残って野球を生業として生きているとは、思いもしなかった。そもそも、父の勧めで半ば強引に歩まされた道だ。「高校を出たら大学に行って、台湾に戻る気でいました。日本の高校へ進むとき、お父さんに言われたのは、日本語と日本の野球を勉強してこい、ということでした。将来、何をしたいとかっていうことも特になかったし、言われるままに日本に来て、本音はイヤだったんです」

 李杜軒の父・杜宏は台湾プロ野球で8年間プレーした左腕投手で、引退後も投手コーチ、二軍監督などを務め、後進の指導にあたっていた。その先輩の息子が1996年に女子高から共学化し、2000年に野球部を創部した岡山県共生高に第1期留学生として進んでいた林庭逸(現DeNA通訳)だった。その存在と「世界を見せたい。野球だけでなくさまざまなものを学ばせたい」という父の思いが日本行きの道をつけた。

「最初は日本語もまったくダメでした。ただ漢字だけは意味がほとんど同じなので、筆談でいろんなことを教えてもらっていました」という不便な生活を林に支えてもらいながらも、父と台湾ソフトボール代表捕手経験のある母・葉麗珠のDNAを引き継いだ野球の実力は突出していた。1年春から三塁のレギュラーとなり、のちに遊撃に定着。2年秋までに47本塁打を放った。その豪打は県下にとどろき、練習試合でも勝負を避けられるシーンが増え、高校通算は53本塁打。それでも「右打ちの打者としてはトップクラス。長打力や体の強さは井口(資仁、現ロッテ)に匹敵する能力を持っている」と当時スカウト部長を務めた小川一夫(現スカウト室室長)は高く評価した。

 06年秋の高校生ドラフト4巡目で入団。しかし、「バッティングでも結果が出なくて、先輩たちとの差を感じました」と言う。プロ選手としてのあり方に気づいたのは入団から3シーズンを終えたオフのこと。「井口とやってこい」という、鳥越裕介内野守備走塁コーチからの自主トレの勧めだった。「最初は冗談だと思っていたんです。井口さんとタイプも似ているから行って来いと言われているんだと思っていました。いろいろ考えて、やっぱり勉強したいと思って、鳥越さんにお願いしてみたんです」。鳥越コーチの狙いはこうだ。「僕から見れば、ただの怠け者だったんですよ。井口の技術を教わるのももちろんですが、その前に野球に対する姿勢を肌で感じて、変わってほしかったんです」

 その狙いは当たる。「あれだけの実績を残した人でも、とてつもない量の練習をするんです。だから自分はもっとしなければいけないと思えました」。自然とそう思えたのは、李杜軒にとって井口が少年時代からのあこがれの存在でもあったからだ。台湾にいてテレビで見ることができる日本のプロ野球は主にダイエー(現ソフトバンク)戦。そこで躍動していたのが井口で、右方向へも長打を打てるパンチ力ある打撃をはじめ、攻守走に見せるハイレベルなプレーに魅了された。02年、台北でのオリックス戦はスタンドで観戦。中学生の胸に「日本のプロ」がほんの少し、芽生えた瞬間だ。

 また、井口の沖縄自主トレに同行する阪神・鳥谷敬からも多くを学んだ。「ちゃんと話ができたのは2年目からなんですけどね。最初の年は怖くて何も聞けませんでした(笑)。でも、シーズン中も食事に誘ってくれたり、気にかけてくれていて、すごくよくしてもらっています」。特にウエート・トレーニングに関する知識は、会得のいくものだった。「鳥谷さんはケガをしないためにウエートをするんだって言っていました。筋トレをやって野球のプレーに直結するのはある程度のレベルまでで、それを超えたら大差はなくなるんだそうです。それでもウエートは続けないといけない。地道に筋トレを続けて、ずっとケガなく試合に出続けている鳥谷さんはスゴイ。鳥谷さんに筋トレの考え方、やり方を教わってから、僕もそれまであった、しようもないケガがなくなりました」

 李杜軒の野球に取り組む姿勢の変化は、鳥越コーチも「野球を第一に考えられるようになった。球場入りの時間が早くなったのも、その表れ」と一定の評価を与える。ある意味、本気になって間もないのだ。ただ、プロの世界に悠長に構えている時間はない。


▲右方向へも大きな打球を打てるのが特長。打力を前面に一軍入りを目指す


後進の道しるべとして

 確固たるレギュラーが9人、スタメンに名を連ねる今季のソフトバンク。捕手に鶴岡慎也と細川亨の入れ替えがある以外はケガかよほどの不調でもない限り、控えのメンバーが入り込む余地はない。実際、開幕から12試合を終えて、打順の入れ替わりはあるにしろ、捕手以外のスターティングメンバーは不動。代打、代走、守備固めもほとんど不要で、削った野手枠をブルペンに充てているほどだ。

 李杜軒にしても右の代打枠1をめぐる江川智晃との争いに敗れ二軍に甘んじているのが現状だ。大道コーチは「打撃に器用さがあるだけに、技に走りがちになってしまっている。遠くに飛ばせるというのが魅力で、ほかの選手にはマネできないものなんだから、まずはしっかり振って長打を求める打席をつくってほしい。レギュラーを獲れるくらいにならないと先が見えてこない」と一層の奮起を期待する。

 秋山幸二監督の助言から軸足に強く意識を置いたフォームにも手応えを得つつある。3月11日、ヤクルトとのオープン戦(ヤフオクドーム)では守備からの出場でめぐってきた8回一死一、二塁のチャンスで左中間フェンス直撃の2点適時二塁打。「追い込まれて真っすぐを右中間に持っていくイメージで待っているところに、フォークが来て体がうまく反応した」という一打からは、打席での新しい感覚を得た。「自分が日本で結果、実績を残して、台湾にいる後輩たちに日本に来たいと思ってもらえるようになることが、今のモチベーションです。僕も日本に来て良かったと思っていますから」

 そのためには「試合に出たら結果を出す。それを続けていくことしかありません」。めぐってきたチャンスにどんなアプローチを見せるのか。そのときまで、神経を研ぎ澄ませ、牙を磨く。

PROFILE
リー・トゥーシェン●1988年4月21日生まれ。台湾出身。173cm88kg。右投右打。中学卒業後、岡山県共生高に留学。高校時代は通算53本塁打を放つ打撃で評価を高め、07年高校生ドラフト4巡目でソフトバンクに入団した。一軍初出場は入団6年目の12年で、その年初本塁打をマーク。13年は5月上旬に一軍に昇格すると、残りのシーズンの大半を一軍で過ごし、本多の代役でセカンドを務めるなど存在感を高めた。今季は開幕を二軍で迎え、4月11日現在で一軍昇格はなし。


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