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豊田泰光のオレが許さん!
背番号を大事にしよう!



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西鉄の「7番前史」はちょっと面白い。八道選手が着けた裏には?

 キャンプも2週間になろうとしていますが、今年の話題と言えば、WBCと大谷(日本ハム)、藤浪(阪神)の両新人のことばかり。「オイ、現役の主力たちはどこへ行ったんだ?」ですよ、ホント。彼らがたまに登場するとしても、ほとんどがWBCがらみ。

 これってね、プロ野球全体で考えなくちゃいけない大問題ですよ。賞味期限がすぐ来てしまうような(来ていないんだけれど、ファンとメディアにすぐ飽きられる)現状を何とかせんと。

 こういうときはね、数々の伝説に彩られた人々に登場願うんですよ。例えば大谷だったらハリやん(張本勲氏)に見てもらえばいいんです。同じ左打者なんだから。失礼ながら日本ハムにハリやん以上の理論を持つコーチはおらんでしょうが。オレは大谷の二刀流はやらん方がいいと思うけど、やるんだったら、ハリやんぐらいの人に、さらに話題を作ってもらった方がいい。たとえ、彼が否定的な意見を述べたとしても、です。ハリやんには、過去の大打者たちの話をどんどん例として出してもらうんです。そして、現役の主力打者たちとの比較もしてもらうんですよ。そこで現役たちに「喝!」となってもいい。これは大谷だけを、ネタもないのに、アレコレいじくるより、よっぽど面白くてためになるやり方です。

 ハリやんだけでなくノムさん(野村克也氏)、カネやん(金田正一氏)、権藤(博氏)、米田(哲也氏)、江夏(豊氏)……といった人たちを、一新聞、一テレビ局が招くのではなく、球界全体で金を出して、巡回してもらうんですよ。それぐらいのことをやらんと、新聞の読者も、テレビの視聴者もプロ野球の方を向いてくれんよ。

 というワケで、キャンプの現場が面白くないのなら、「週ベ」の企画に協力して、今週は背番号の話をしてみましょう。

 オレが西鉄に入ったとき、すぐに「7」をもらったのはご存じでしょう。「高校生がずいぶんいい番号もらったなあ」と思われそうですが、さにあらずなんです。球団名が「西鉄ライオンズ」となったのは1951年ですが、ライオンズの背番号7第1号はベテランの鬼頭政一さん。のちにライオンズ(太平洋、クラウン時代)の監督も務めた人です。第2号は52年入団の八道勉さん。いまのファンは、知らんどころか読み方も分からんでしょう。これは「やじ・つとむ」と読みます。ハワイ生まれの日系二世でした。

 こう書いてくると、西鉄の7番は、決して「いい番号」とは言えなかったのです。と言うより、どうでもいい番号に近かった。

 今回、オレの前の7番の八道さんのことをちょっと調べてみたのですが、彼はハワイのフェリントン高を出て、ハワイ・レッドソックスでプレーしていました。西鉄のワイヤットというショートが故障したんで八道さんに出番が回ってきた。八道さんはショートとセカンドの兼任。八道さんも故障してこの年限りになるのですが、7番は「とりあえず外国人に」という番号だったのでしょう。

 でも、八道さんが7番を着けるについては、こういうことがあった。八道さんは、あの“ウォーリー”与那嶺要さんと同じ高校の出身で1年後輩。与那嶺さんは、前年の51年途中に、巨人で背番号7を着けてさっそうとデビュー。これはもう、八道さんは7番を着けたかったでしょうし、球団も「与那嶺と同じに」となったことでしょう。

空いていたから7番をもらったのだが、実は大変な番号だったのだ!

 その7番が53年は空いたので、同じ遊撃手の番号だし、オレがいただいたワケです。まあ、前年には中西太さんが6番をもらっているから、「豊田は続きの7番で」ということになったのでしょう。

 だから、オレは7番と言われても「ああ、そうですか」だった。ところが、球団事務所にあいさつに行ったとき、ウグイス嬢の今泉さんに「豊田さん、ラッキーセブンよ。いいわねえ」と言われると、ハッとした。「こりゃ、いけない。ダメだったらラッキーどころか、不幸を呼ぶ番号なんて言われちゃう」と不安になってきた。またこの番号、ヤンキースのジョー・ディマジオの後継者として、メキメキ売り出してきたあのミッキー・マントルの背中にあるものでした。「左右で大ホームランを打てる天才打者」という情報は日本にも伝わっていました(当時の日本ではスイッチヒッターなんて神ワザとしか思えなかった)。

 オレは「こりゃあ、責任が重いなあ」となりましたよ。でも、これが結果的に良かったんですね。オレがこの年新人王を取ることができたのは、この「7番プレッシャー」が、かなり効いていたと思いますね。だから、ルーキーシーズンが終わると、うれしさよりも「責任が果たせたかな」という気持ちの方が強かった。

 余談をひとつ。その「神ワザ」のマントルとは55年の日米野球で対戦することになります。その打球のものすごさについては何度も書いてますが、彼が二塁打を打ってセカンドまで来ると「おお、日米の7番が並んだな」と言ってくれた人がいました。オレはうれしかったねえ。これで7番が自分のものになったと思いましたもの。このように背番号にはドラマがあるのです。また、プロ野球選手たるもの、自分の背番号でドラマを作らんと。

 この背番号のドラマで最も見事だったのが金田正一投手の「34」でしょう。この番号は彼が50年に国鉄に入団した当時でも、表現は悪いけどカス番号です。しかし、カネやんは、この34を、投手ならだれもがあこがれる番号にしてしまった(最近、これを着けるのを望む投手が少ないのは残念だけど、中日の山本昌がおるよ!)。

 ライオンズではオレ以後7番をいろんな人が着けましたが、基本的に遊撃手の番号。これは、ライオンズの7番の実質的第1号であるオレが敷いたレールだと自負しています(調べて分かったんだけど伊原春樹君も着けてたんだね)。この番号が、石毛宏典、松井稼頭央(現楽天)とつながったときは、オレは本当にうれしかった。背番号7は、いい番号になったのです。

 今週号は新背番号の特集だそうです。初めにかなり大きな番号をもらった選手は、自分の欲しい番号を定めて「これを絶対ゲットするんだ」と頑張らんと。いまのライオンズの7番は盗塁の達人・片岡治大(やすゆき)君ですが、何とか復活してほしいねえ。08年には最多安打も記録した打者。7番をいい意味でのプレッシャーにしてほしい。


西武・片岡は「7番」をさらに光り輝く番号にしてほしい/写真=松村真行



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